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2015.05.19 Tuesday

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    マスクから選ばれた男・・バー テオドール

    2011.08.27 Saturday

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      前のブログでお伝えしたように、今回はなんで?テオドールにジャンべをお任せできるのか???を知って頂けるように、バーテオドールの日本に行く前のお話しを書こうと思います

      これはプロフィールにも書いたことがありませんでしたが、この話しはアフリカ好きにはとっても興味深いし、書いてみようか・・という事になりました



      テオドールはギニアの森林地方・ギニアフォレスティ―ル地方ゼレコレで生まれました

      お母さんはコノ族・お父さんはフラ族(苗字のバー・BAHというのはフラ族の苗字なんです)です こちらでは、お父さんがフラ族なら、あなたもフラ族ねって言われますが、テオドールはコノ族の中で育ちました



      どうやってテオドールがダンサーになったかというと・・

      小さい頃に、ダンスを始めるきっかけとなった事件がありました



      村で育ったテオドール、6歳か7歳くらいのある日、村のお守り・・マスクその他、村を守るための秘密の道具・・普通の人は絶対に見てはいけないもの・・を保管してある小屋みたいな日本語でいうと、祠っていうのかな?に一人で侵入して、そのままなぜかその中で眠ってしまったんだそうです。祠の外では、それを見てビックリした村の人達が他の村人を集めて皆でいつ出てくるか見守っていたそうです(入ってはいけない神聖な場所なので見守るしかない・・)



      テオドールのお爺さんのお爺さんのお爺さん〜・・は村の王様だったそうで、その祠に入っているマスクなどは、テオドールの家に伝わる物でした



      今テオドールが持っているマスク・ニャムネレンポアも家族に代々伝わるものでマスクを身に付ける後継者としてお爺さんにもらったそうです



      眠っていたテオドール少年はその中で不思議な体験をしました

      でもそれは公表するつもりはないそうです



      眠りからさめてはいないけど起き上ったテオドールはいきなり踊りながら祠から出て、そのまま踊りながら、ずいぶん離れた森の中の村のみんなが飲み水を汲みに行く川のその水が湧いている場所まで走って行ってそれでその水の所で目が覚めたんだそうです

      テオドールが踊りながら走っている間、村の人達は手拍子して歌いながら一緒についてきて、その時のその歌は誰かが即興で作って歌ったもので、今でもその村で歌われているんだそうです



      (ちなみにこのお話しはよくある作り話しではなく実話です、お母さんも言っているし、だいたい、テオドールの家族はアーテイストの家系なんだそうです おじさんもバレエ アフリカンのメンバーで長い竹馬に乗ったカキランべです)



      テオドールはその時まで踊りを習った事があったわけてもなく勝手に体が動いてしまったらしくそのあとは自然に踊りがわき出るようになったそうです、その日の出来事から、村のお祭りでマスクが出るときはテオドールがそのマスクの言う事を村人に伝えたり、ダンスするようになりました・・もちろんそのダンスは教えてもらったのではありません



      その後、家族でコナクリに引っ越してきて、ちょっと大きくなったころ住んでいたのがファムドウ コナテ氏の家のあるシンバヤという地区でした



      ファムドウ氏の家はすぐそこ・・ファムドウの息子、娘さん達などがメンバーのファムドウ コナテのバレエ団ハマナーサブニュマが練習をしていて、テオドールはいつも練習を見ながら真似して踊っていたそうです

      それを見たファムドウ家の子供達に、上手だから私達のグループに入らないか?と誘われました



      ハマナーに入って自分はフォレスティ―ルのトラディショナルのダンスを教えてあげて、皆にはバレエを教えてもらいました



      そうしているうちにハマナーのトップダンサーになって、コナクリでお祭り・ドゥンドゥンバなどがあると、テオドールに来て欲しいという以来が殺到して、いろんなバレエ団からうちに入って下さいと誘われるようになりました

      ドゥンドゥンバでは、テオドールが踊ると次にはもう女性以外が踊れなくなってしまう・・状態になってしまったそうです  何故かというと、あまりにもテオドールのダンスが力強いので、男のダンサーは恥ずかしくて自分は出ていけないや・・となってしまったんだそうです



      ハマナーサブニュマの時は、他にもバレエ ファレタ、ボロンタ、バシコロ、ウワゾーブランそしてメルべイユ デ ギネーなど、一日に何個ものグループの練習のかけもちをしていたんだそうです



      メルべイユ デ ギネーを作った監督の故ケモコ サノ氏には大変気に入られていて、他のグループはやめて自分のグループのものだけにしたいんだ!と良く言われたそうです



      ハマナーサブニュマはテオドールの大活躍でコナクリですごい有名で強力なグループになったんだそうです その時のメンバーはパーカッションはフォデ、ビリー、ジャラ、イブロなどのファムドウの息子さん達とダンサーはファムドウの娘さん達だったそうです、あと後半は村からコナクリに来たナンサディ ケイタ氏もいたそうです 現在はほとんど外国で活躍してるそごいメンバーですよね

       

      ハマナーのトップソロダンサーになって大活躍した後でママディ ケイタ氏に出会います

      ママディの家でいろんなお手伝いをして生活しました



      マトトにあるママディの家でドゥンドウン制作中のテオドール



      ママディ ケイタ氏はアーテイストとしても、人間的にも素晴らしい人だったので、お母さんが息子をあなたに差し上げますという・・ギニアでよくこういうのがあります・・お願いをしに行きました

      するとママディはとても喜んで自分もテオドールはきちんといろんな仕事して助かっています、ダンサーとしても素晴らしいですと、自分の息子、家族として預かりますと言ってくれました



      マトトにあるママディの家で生活しながら、ママディの太鼓を作ったり、皮の張り替えをしたり、外国からギニアワークショップに参加しに来た生徒さん達にジャンべを販売するビジネスもしていました



      ママディがその時にバレエ ナショナル ジョリバに入る事を勧めてくれて、ジョリバの監督さん達を呼んで、入団する事になりました



      そう聞くと、じゃあママディのお陰で入れたんでしょ?って思いますよね

      でも違うんです  バレエ ナショナル ジョリバもバレエ アフリカンも、テオドールの事をすごいダンサーがいると前からずっと狙っていて、自分達のグループに入れるんだ!と喧嘩になった事もあるんだそうです



      そのくらいコナクリでは、この男はすごいダンサーなんだ!って有名だったんだそうです



      日本に行くちょっと前にヨーロッパに招待されてダンスクラスやコンサートをしました ベルギーではママディのところでダンスクラスもしました



      ベルギ―でのダンスワーク ママディケイタ氏とテオドール



      その後で日本で10年生活しました ダンスクラスやコンサート お店Bleumla で! 皆さん本当にお世話になりました これからも宜しくお願い致します

      ★日本での活動はこちらで見て下さい



      ファムドウのグループにいた時にはファムドウの太鼓を任されたり、ママディのところではママディに任されて・・こんな経緯があってテオドールにジャンべはお任せ下さい!!というわけなのです



      今またギニアで生活しているのでジャンべや楽器の事だったら思い通りなんです!なのでジャンべのオーダーが来るとやたらはりきって頑張ってるテオドールです





      おまけ★マトトでの私たちの結婚式のドゥンドゥンバ ママディが自分のグループと演奏をしてくれました 本当に感謝です